先日日本語能力検定試験が実施されました。皆さんそれぞれのレベルで受験に備えテストに望んだと思われます。また、 雇用している外国人材に日本語能力検定試験を受験させた企業もあるかと思います。2月の合格発表が待ちどおしいですが、ここから先は少し手厳しい内容となりますが、本当のことを伝えます。
外国人材に求めているのは何?
ここでひとつのクエスチョンです。雇用する企業にとって外国人材に求める能力は何でしょうか?
日本語能力検定試験の1級(N1)合格でしょうか?2級(N2)合格でしょうか?それとも3級(N3)合格でしょうか? 実際に外国人材の面接に携わった方はよくご存知だと思うのですが、 N 1や N2を持っていても、会話力が期待するレベルでないことのほうが多いのではないでしょうか? これは合格しても会話できない外国人材が悪いのではなく、試験に合格したら同時に会話ができると思い込んでる日本人側の勝手な思い込みに過ぎないのです。
日本人の弱点
日本人は勉強が上手です。そして勉強が好きな人の比率が高いと考えています。ただし、この勉強というのは、主に文法や単語を覚えたり暗記中心で読み書き中心の勉強なのです。私たち日本人は、私の世代で言うと中学校から大学受験に至るまで長きにわたって英語を勉強してきました。しかしその勉強で会話ができるようになった人は何人いたでしょうか?英検やTOEICなど自分の英語のレベルを推し量る試験に合格するために勉強し、テストではそこそこいい点も取れたことがあったのに、 肝心の会話ができない。つまり「聞き取れない」「話せない」。のが当たり前の世の中でした。
同様に外国人の日本語力を推し量る日本語能力検定試験も、日本人が作った試験なので読み書きの勉強寄りの試験になっています。 漢字の分かる中国人台湾人が受かりやすいのも納得です。
私たち日本人の弱点はここにあります。外国語を習得した経験がない人が多いため、これまで常識としてされてきた基準を疑うことができない可能性が高いのです。
弱点が誘導してしまう落とし穴
自分たちがこれまでの英語の学習で勉強したのに話せない聞き取れないという経験があるにも関わらず、今度は提供する立場になった場合(例えば、雇用している外国人材に日本語教育を提供する)、その経験が全く生かされず、自分たちが歩んできたことと同じように試験合格に向けた勉強教材を提供してしまっていることがよく見受けられます。
試験の合格あるいは資格の取得は、入社選考時に必要なひとつの物差しであって、実際に入社後に必要なものは共に働く人たちとのコミュニケーション力すなわち会話力ではないでしょうか? さらに、その試験合格のためのせっかくの会社としてのフォローが、合格したとたん転職されてしまうなど最悪のパターンに陥ってしまうと目も当てられません。
ただし日本語能力試験でいえば N 1に合格となると、これは評価に値すると考えます。この試験は日本人が受けても合格できない人もいるのではないかと思うくらいの難しさです。ちなみに TOEIC は何の事前勉強もしていないアメリカ人の小学生が受けるとほぼ満点だったと言う面白い動画を以前 YouTube で見たことがあります。読み書きにこだわるあまり難易度が必要以上に難しくなっているのも作成した日本人らしさが出ているのかもしれません。
実は日本語能力試験は日本語力をはかる試験ではなく、合格できる地頭の良さ、合格するための勉強を工夫できる力、記憶力の高さなど別軸で評価すべき物差しなのではないかと考えています。特に漢字圏以外の方がN1を合格するのは、本当に優秀だと思います。同時に受験する当人にとっては、この優秀な称号を獲得したい欲求が高いのかもしれません。
あくまで資格取得(試験合格)は個人の称号であるため、入社後N1取得を会社として望んでいるのかどうかは、一部の業種を除いて別問題だと考えます。
違いを知る
そもそも「読み書き」と「話す聞く」能力は異なります。それぞれ異なる能力なので、もちろん鍛え方も異なります。「読み書き」の能力は、例えばメールを打ったり、読んだりする能力で、時間をいくらでもかけてもいいが、正確性が求められる能力です。対して「話す聞く」は、その場で即座に反応できる反射力が求められます。極端にいえば、正確性は求められません。間違ったとしても、その場で言い直せばリカバーできる性質があります。
これまで日本人が勉強してきた英語の勉強は、ほぼ「読み書き」の能力を向上させることになります。つまり「目」と「手」だけを使っているので、文法や単語は知っていても、口から出てこないうえに、そもそも聞き取れないのです。「話す聞く」能力を鍛えるためには、これまでの概念の囚われることなく「耳」と「口」を徹底的に鍛えなければ、永遠に会話することはできません。日本を目指す外国人材にも、これまでの慣れ親しんだ「読み書き」の勉強ではなく、「耳」と「口」を鍛えるトレーニングの場を提供しなければ、母国語しか話せない人材を量産するだけになります。
よくある勘違い
みなさんは知っているはずです。「勉強」は1人でできますが、「会話」は1人ではできないということを。
外国人雇用あるあるですが、会話力アップを求めているのに社内では日本語で会話する機会が少ないまたは積極的に仕掛けていない状況です。レッスンさえうけさせておけばもう安心という考え方です。これは、受験合格するために塾に行かせるなどの、目的が試験合格のための「勉強」にすり替わってしまっているパターンです。本来の目的は雇用している日本人スタッフと会話ができることなのに、日本人スタッフが関与することなく、ついうっかり「勉強」のやり方になってしまうのは、実は先にあげた日本人の弱点がそうさせてしまうのです。
「勉強」と「会話」は全く別物の研修と考えた方が、理解が早いのかもしれません。
コミュニケーション力(会話力)を鍛えるのは、コミュニケーションでしかありません。同時に会話力は数字で推し量るものでもなく、また第三者機関が測定するものでもありません。数字(点数)で測れる勉強のほうが提供者としては楽ちんですが、得るものは少ないことでしょう。
最後にもう一度、お聞きします。
みなさんが雇用する外国人材に求める能力は「試験合格に必要な読み書きの能力?」
それとも「会話力に必要な話す聞く能力?」
こちらは、日本語教育を導入しようと検討する際、考え方や目的に対する教育基準の選定方法などをまとめたe-bookになります。参考にしてください。
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